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2018年10月8日月曜日

「ネオ中世」の質感、覚えておこう

AIが社会の主役に、人間の歴史は終わる ドワンゴ川上量生氏が描く未来図
川上さんのインタビューは、ディズニー映画「ウォーリー」の中の人間を連想した。
パーソナルモビリティにめり込んで自分好みの映像にのめり込んで満足に歩くこともできなくなったメタボな人たち。
でもみんなそれはそれで楽しそうではあるんだな。
それよりも近い未来を示す国光さんのコメントの方が興味深い。
「国家×国民」は戦争の世紀では戦力であり、グローバル経済では労働力、つまり国民の数と質が国力の源だったわけだけど、これからは事情が変わってくる。その方向性として「ネオ中世」か、なるほど。

2018年10月3日水曜日

コンピュータに「拒否」られた

そう、信じたいです
   ↓
送信辞退です
ポジティブなメッセージ込めたら、コンピュータから「拒否」された。

日本語って一歩間違うと恐ろしい

人は、変われる!買われる?飼われる?!
日本語って一歩間違うと恐ろしい。

2018年9月29日土曜日

「ホモ・デウス」2回目読んでる

ハラリさんの「ホモ・デウス」2回目読んでる。
テクノロジーによる人のエンパワメントが身体的領域に侵食する時、
人間至上主義(フランス革命から引き継がれて、世界人権宣言でグローバルに浸透させてきた民主主義の根幹の価値観・前提条件)が崩壊の危機に直面すると警告する。
人間がアルゴリズムに取り込まれてコントロールされるという世界観だ。
ハラリさんはこれを「データ至上主義」という言葉で説明している。
人間は遺伝子に支配されており、その遺伝子も4つの塩基で構成されている以上、四進法と捉えるようになるのではないかと。学術界、生物学、進化論、どの層においてもエビデンスベースというデータ主義が支配しつつある。
人口動態のアンバランスが生じた集団ではまず社会保障の重さから世代の分断を生じさせてしまうかもしれないが、その間にもひたひたとデータ至上主義が「人のこころ」までアルゴリズムに変換する波が浸透している。
SFで繰り返し描かれてきた手垢まみれのストーリー、とバカにする人にこそ、手にとってもらいたい上下巻。

牛丼が勝利の味

「大きな発見をした!
どうしてこれまで気づかなかったんだろう?」
と、院生帰りの息子が大きな声で聞いて欲しげに言う。
ーーじゃ、聞こうじゃないの、その発見とやらを。
「お昼牛丼の日は、勝率が良い。
最近、調子良いアイツも牛丼ばかりだ」
ーー良いんじゃないかな、
そういうことで。
それより、中間試験はどうよ?
部屋の片付けなんかより、まずそっちからだね。

2018年1月9日火曜日

年頭所感

原料・受託バンクを運営するノウハウバンク㈱の代表として、年頭所感を書きました。

昨年読んだ本のBest3冊は「営業 野村證券伝説の営業マンの仮説思考とノウハウのすべて」「2030年 ジャック・アタリの未来予測」「サピエンス全史」で、今年の方針はこれらにも少なからず影響受けてます。

自分が平均寿命まで生きれば今「人生の折り返し地点」を3年前に回った。「人生のサイズ感」を打ち破りたい気持ちと、規模や自己成長よりも質を確認しつつ「自分のペース」を見失わずに今に集中したい気持ちを行ったり来たりしつつ、目の前の相手との関係性に彩りが増す、輝く瞬間を出来る限り捉えたい、見逃さないようにしたいと心を新たにしております。

2017年12月28日木曜日

インターネットはソラリスの海になっていく?

ハヤカワ文庫「ソラリス」がSaleだったんで年末読もうと買ったら、NHK「100分de名著」でも始まったので合わせて考えてみた。 海っぽい流体に覆われた惑星ソラリスと宇宙船の物語。 その海は意識があるのかもしれないし、法則に沿っているだけかもしれない。 でもその海は確実に宇宙船メンバーの脳に入り込んで情報を引き出すだけでなく、彼らの記憶から生み出した幽体を宇宙船に送り込んでくる。 そしてその目的は最後までよくわからないのである。解明には程遠い規模の存在ということなんだろう。 長年の観察、研究で「ソラリス学」なる概念が膨れ上がるも、その実態はよくわからないまま。 概念が大きくなるほどに全体像は地平に追いやられ、人の認知が局所に限られるためにいろんな見方ができるようになるばかり。 ソラリスの海は、まるで「未来のインターネット」だと思った。 脳と直接つながった未来のインターネット。 ソラリスの海が宇宙船に送り込んでくる幽体は、さしずめ「カスタマイズされた人工知能(その人から最も情報を引き出すインターフェース)」ということになるかもしれない。 僕はインターネットとの類似性をみたけど、人によって宗教であったり、人間の内面であったり、さまざまな「フィクション」をソラリスの海に投影できるんだろう。 今年読んで衝撃を受けた「サピエンス全史」では、宗教も科学も資本主義も社会主義もすべて「認知を獲得したサピエンスが生み出した虚構(フィクション)」と結論づけている。 人に幸福や自由をもたらしたり、束縛も絶望もしたりするこれらの虚構に力を与えているのが言語などの記号とした場合、それらを自分にカスタマイズされたインターフェース(資本主義の文脈ではおカネかもしれないし、政治であれば総理大臣あるいは預言者かもしれない。その人にとっての希望となるVision、Big Pictureをその先に想像できる何か)が、ソラリスの物語で描かれるような幽体となって姿を現し、パーソナルな領域でそれと引きこもるように最適化されていく未来を想像してしまった。